コラム「凡言録」より11月22日

三鷹事件再審を

1949年(昭和24年)7月15日午後9時20分過ぎ、三鷹駅で引込み線から7両編成の無人電車が暴走。車止めを突破して駅舎の交番を破壊。道路を横断して大京建設の店に突っ込み、二十数人が死傷した。三鷹事件だ▼

翌日には吉田首相が日本共産党の犯行と断定する談話を発表。国労三鷹電車区分会長ら10人が逮捕された。竹内景助氏以外は全員が共産党員で、党支部の会議を開いていたという明確なアリバイがあった。一審判決は共産党員の「共同謀議」を「空中楼閣」と退け、竹内氏の犯行と認定した▼

電車暴走の手口は制御機のハンドルを紐などで他に結び、全速で走るように固定してブレーキを開き、バンタグラフを上げれば電車は全速で突進する。物証といえば、ハンドルを結び付けた思われる紙紐だけだった▼

竹内氏は55年に死刑確定、67年に病死するまで再審を請求していた。竹内氏死去から44年、同氏の長男が東京高裁に再審を申し立てた。有罪の証拠は自白のみ。竹内景助氏はでっち上げ事件の犠牲者とされた。(11月22日)

コラム11月23日へ進む