コラム「凡言録」より3月13日

東・関大震災−3

朝、義母の病院から戻ってくると、家の前で隣組の人が立ち話。何と聞くと、「原発で久之浜も退避しろ、自主避難だというけど、どうすんべ」と当惑顔だ

▼向かいの家はすでに自家用車で避難。筋向いの家は、車に物を積んで出かけるところ。隣の家の嫁さんは「年寄りは行かないというので、どうしよう」と。我が家は義母のこともあるので、遠くには避難できない、残ると話した。中学校へ避難した人たちはバスで40キロ以上離れた市内内郷、湯本の学校へ移っていった

▼買い置きが少なくなり、買い物に出た。車に給油しようとしたら、スタンドは閉まっていた。スーパーは行列で、20分待って店に入る。水、パン、牛乳、卵、即席面は売り切れ。パン屋も行列ができていた

▼海岸端の親戚の家は、津波で壊滅し流されたと聞いた。主は、市会議員だが、地震発生後、行方が分からない。津波のときは自宅いたのか、どこにいたのか、定かでない。今に至るも連絡がない。市会議員は姿を見せない、と町の噂になっている。


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