コラム「凡言録」より3月27日

東電福島第一原発は1971 年3月、1号機が運転を開始 し、74年7月に2号機、76年 3月に3号機、次つぎに6 号機まで造られた。6つの原 子炉のうち5つの非常用炉心 冷却装置を担当した東芝の元 技術者、小倉志郎氏が外国特派員協会で語った

▼「1号機を米国のGE社から輸入した が、そもそも津波を想定しな い設計条件だった。2号機以 降は日本で建設したが、1号 機の設定がそのまま踏襲され た」と。設計段階で津波を想 定していなかったことを証言 した

▼06年3月1日の衆院予 算委員会で津波と原発につい て論議があった。通産省原子力保安院は津波の引き波で海面が低下し、冷却水が正常に 取水できなくなるのは日本の 原発55基のうち、海面が4b下すると28基、5b低下で 基、6メートル低下で44基が一時 的に必要な水位を下回ると明 らかにした。対策は取られな かった

▼原発30`圏内で屋内 退避の日々。被曝スクリーニ ングを受けたら2マイクロシ ーベルトだった。放射線は目 に見えない。被曝しても痛く も痒くもない。(3月27)


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