コラム「凡言録」より4月17日
東・関大震災−4−17
東電福島第一原発の事故について、4紙の検証記事を読んだ。初動の事故対応に問題はなかったのか
▼3月11日午後2時46分、大地震発生。運転中の1〜3号機が自動停止。午後3時42分、1〜5号機で全電源喪失。1、2号機が注水不能に陥り、原子炉が冷却できなくなった。東電は非常用バッテリーが使える8時問までは問題ないと。この間に冷却機能が復旧できるとの判断だ
▼8時間過ぎても復旧の見通しが立たない。1号機の格納容器内に大量の水蒸気が溜まり圧力が上昇。破壊を避けるには、内部の水蒸気を外部に放出するベント(排気)が必要。12日午前3時5分、海江田経産相が東電にベントを指示。東電は「電源が失われ、弁が開けない」。海江田経産相は「早く弁を開け」と電話で催促
▼7時過ぎ、ヘリで現地視察に到着した菅首相はまだベントを始めない東電を咎(トガ)めた。東電は「1時間以内に」と。首相は「悠長なことを言っている場合か」と声を荒らげた。ベント開始は10時17分。5時間後に1号機は水素爆発した。(4月17日)