コラム「凡言録」より4月3日
東・関大震災−4−3
不通だった電話が先月末の夕 方、いきなり復旧した。ベル が鳴って「あれぇ、通じたわ 」。受話器を取ると、妹から で「あ、やっとつながった、 何回かけてもつながらなかっ たんだよ。大丈夫だったの」
▼それから、しきりに電話が 鳴る。1日から3日まで20余 本。「何回もかけたんだよ、 高木は生きてんだか、死んだ んだか、と」「ごめん、電話 が不通で、隣町の四倉の公衆 電話に行かないと駄目だった んだ」、「どこかに避難した のかと思って」「屋内退避で 家にいたよ」。「まあ、生き ていてよかったな」「ありが とう、ありがとう」
▼本稿「凡」3月号を遅れずに送った ので、「びっくりした」とい う読者もあった。「暇で、凡 でも書いていなけりゃ、居れ なかったよ」と言った。「イ チロー選手も顔負けね」と褒 めてもらった
▼食料配給。ご 飯2箱、カレー1個、カップ 麺1個、切り餅2個、水小1 瓶、ポカリー1瓶、ビタミンガ ード1個、茶1瓶、やきとり 缶1個、のり佃煮1瓶、どら 焼1個、夏みかん2個、かつ お梅1袋など。(4月3日)