コラム「凡言録」より4月6日


東・関大震災−4−6

「忙中閑あり」ではないが、義母の見舞いは午後からなので、午前中に宇都宮城址公園に行った。城は天守閣のない平城で、石垣ではなく、高さ10bもある土塁が特徴だ。清明台と富士見櫓が復元されている

▼宇都宮城は戊辰戦争の激戦の場だ。城を奪い幕軍の拠点として西軍の進撃を食い止めようとした大鳥圭介ら旧幕府軍と土方歳三ら新選組の連合軍。西軍もまた宇都宮城を拠点とする考えは同じで、両軍は激突した

▼土方歳三は松ケ峯門付近の戦闘で足に銃弾を受け、戦線を離脱して会津に向かった。「土方歳三らにしても、いま頼みとするのは、会津松平家と家中の精鋭たちだった。会津の土地は広大な盆地だと聞いている。四囲を高山に囲まれた会津地方は、傷ついた誠忠の士を温かく迎えた一(早乙女貢『会津士魂』)

▼もう一つ、戊辰の役戦士墓に行った。旧街道が交差する六道の辻一帯は、やはり旧幕府軍と西軍が激突したところ。粗末に扱われた旧幕府軍の戦死者を昭和中頃に祀った。小さな墓は狭い道の角地にあった。(4月6日)

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