3月21日  雨 マスコミは、何故かいわきの震災被害の様子をあまり伝えていない。ここいわきに住むものでも、久ノ浜、四ツ倉、塩屋崎、豊間、江名、中之作、永崎、小名浜、小浜、錦、勿来、など約40キロの海岸線を有しているが、被災の様子が、分りません。  

3月22日 雨 風評被害は、すでに、茨城の原研での放射能被爆事件のときも起きていた。あの事故から数年経っていても放射能の問題が、残っていた記憶があります。 

 3月23日 晴れ一時小雪舞う。 今朝震度5+の余震が二度ありびっくり、11日の本震より大きく感じ、本震の時は落ちなかった品物が、今回は落ちてしまい破損もありました。直後からヘリか空を舞い、ニュースで御斉所街道沿いの上遠野の道路に落石を報じました。今日、3日ぶりに、町まで自転車で出かけました。20日に比べれば、幾分車の走る量が多くなった気がします。

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 実際は四回あったと国土地理院および気象庁は発表しています。いずれもいわき市が震源です。太文字は、5月31日追加挿入です。

 放射能汚染について、政府は、一年間に浴びる量の10分の一だとか、すぐに影響は、出ないから安心してくれとばかりいいう。安全と安心を標語してきた原子力発電会社と日本国政府は、被災者にその責任をとらなければならない。原子力事業は、すべからく100%でなければならない。想定外の地震と大津波でやむ終えなかったでは、済まされない。

 すでに、地震と大津波で被災した町は、再建への道を歩みはじめている。しかし、原発でゴーストタウンになった町を、どのように、再建できるか? 避難した人々が本当に帰れるのか。そこで再度生活・生産活動ができるのか。今後、大きな課題を残した天災と人災の複合被災者への支援を! 

 日本人は、三度の被爆体験(広島・長崎・ビキニ)と、今回の目に見えぬ放射線という殺戮に脅かされている。恐怖から、精神的にも傷ついている人もいる。 余震が今も起こった2011年3月23日午後 11:25:26                    

3月24日晴れ。 今日も余震が続く。今日郵便物が被災後初めて届く。外界からの便りはいいものだ。しかも田舎の兄からと、東京の義姉からのたよりだった。兄からの消印は3月20日付け石見大田局、義姉からは3月18日付け東村山の消印だった。いまだ、電話したが、14日に出したはがき届いていません。
 報道によると、福島原発で、下請け会社の作業員三名が被爆したとのこと、最悪である。

 ここ湯ノ岳は、地盤が違うのか、11日の地震の際には、物的被害は無く、限界集落に住む人々には、表向き、そう大きな被害がなかった。しかし、わずか10名にも満たないところは、何の手当てもない。さらに、取り残されるであろう。これから、山菜の季節だが、わらび、こごみ、などなど食べれるであろうか。

 湯本の常磐支所の対策本部に行き、限界集落まで広報をするように指摘しておいた。         


湯本の温泉神社の大鳥居崩落現場です。

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