震災報告19−4月18日(月) 晴れのち曇り。明日からは、雨との予報が出ています。
震災後いまだ取材していなかった四ツ倉町と、復興・復旧がどれだけ進んでいるか薄磯を中心に写真に収めました。
気がついたら津波被害の店の前で仮店舗 野菜を購入裏には、瓦礫の山が見えます。2011年4月18日 午後12時51分
少し瓦礫の撤去が終わったところもちらほら
いわき市四倉町の被災 いまだ瓦礫の山が、いつ片付けられ、人々が帰ってこれるのかわかりません
昨年開業した道の駅も津波で破壊しました。
歩道は後回し。何時直るかわかりません。
民家の玄関に車が。一ヶ月過ぎた状態です。
新舞子浜のかんぽの宿は、直接津波の被害は、ありませんでした。しかし、地震の影響で現在休業中、再開の目途は、立っていません。
新舞子浜は、海岸道路の両脇に砂防林があります。かんぽの宿をはじめ、砂防林の西側は、津波の影響が少なかったようです。
津波で被災した民家の玄関にネコ二人留守番していました。2011年4月18日 午後2時6分
写真を撮ってると、ヘリコプターが、行方不明者の捜索をしていました。2011年4月18日 午後2時11分
道路は、津波で打ち上げられた砂で通行困難です。
ここ、沼ノ内は、わずかの差で津波の被害が無い所と、破壊されたところの明暗がありました。
二人の人が歩く先が、左の写真です。その差わずか50メートル。何が明暗を分けたのか
かまぼこを生産している会社は、ほとんど津波の影響を受けず、生産活動を行っていました。2011年4月18日 午後2時21分
分厚い防潮堤 ここの防潮堤はどこも破壊されていませんでした。
さすがに小さな港の建物は、土台だけ残し無くなっていました。
薄磯のピアノは、4月2日撮影と同じ状態
重機が入りダンプも行き交う
再会と無事を喜ぶ、津波にすむ家を流された被災者
名古屋記念病院・愛知県薬剤師会の医療スタッフと出会う。昨日からいわきに入って活動しているとのこと。本当にありがとう。
被災者の血圧を測る名古屋の看護師
被災者と話し合う医療団
美空ひばりの懸念碑と銅像は、無事でした。
以前は、砂地が20メートルはありました
豊間中学校のグランドが、廃材、廃棄物の一時置き場になって、ダンプが行き交っていました。
一昨年夏この岩場でボべ貝やニナ貝を50数年ぶりに捕って甘辛く煮て食べました。岩場が崩れたようです。
被災者の話では、ここの防潮堤は、津波が来る前に、地震で崩壊したとのことです。
防潮堤も低く、柵ではまったく役にたたない。
海岸道路も流されています。
沼ノ内の被災
沼ノ内から新舞子浜にかけて、砂防林が続ていました。テトラポットも。 合成写真です。
海岸から約500メートルの鈴木さん宅、窓ガラスに津波の時の線が残っていました。ガラスが割れなかったのは、流れてきた瓦礫が、庭に防波堤の役割をしたのではないかとこの家のご主人が話してくれました。
気象庁発表18日震度1以上の地震は全国で16回
震源地が福島県内で震度1以上の地震は、5回
2011年4月18日03:33: 0.0 37゜ 0.0'N 140゜48.0'E 10km M:4.1 福島県浜通り
最大震度:3
2011年4月18日10:30: 0.0 37゜ 6.0'N 140゜48.0'E 10km M:3.3 福島県浜通り
最大震度:3
2011年4月18日11:08: 0.0 37゜ 6.0'N 140゜42.0'E 20km M:4.4 福島県浜通り
最大震度:4
2011年4月18日17:02: 0.0 37゜12.0'N 141゜18.0'E 30km M:4.2 福島県沖
最大震度:3
いわきの沿岸部の防波堤は、1960(昭和35年)5月22日発生したチリ大地震M9.5により発生した津波の教訓から、いわき市約40`にわたって築かれました。(追記2012.3.25)