歴史に残る磐城(いわき)の津波被害報告 −9世紀から21世紀にかけて−
福島県いわき市を襲った地震・津波をまとめた一覧表です。従来、いわきに住む人たちは、「地震も無いし、津波も無くて、冬も暖かく住み良いところだよ。温泉もあるし。お魚も美味しいし。山野草も多いよ」と思っていました。3.11前までは。
【講演会「湯ノ岳藤原町をしのぶ」 講師 いわき市暮らしの伝承郷館長 小野佳秀氏−2011年8月21日(日)】と【理科年表】、その他収集した資料から編集し記載しました。
年 | 月日 | 震源地 | M | 概 要 |
貞観11年(869) | 5月26日 | 陸奥国境 | 8.3〜8.6 or 9.0 | 地震尤も甚だし、或は海水暴溢して患と為り、或城宇頽圧して殃を致す。(『三代実録』)死不1,000以上(多賀城周辺の人か?)、広範に大津波襲来。発光現象。雷ともなう。連動地震。 |
慶長16年(1611) | 12月2日 | 東北東部(三陸海岸) | 8.1 | 「陸奥国地震後大津波あり。」伊達領内にて男女1783人、牛馬85頭溺死す。又、現在の陸中山田町付近・鵜住居村・大槌町・津軽石村等にも被害多 連動地震。 死不1,800〜5,000、大津波。会津地方も被害 |
延宝5年(1677) | 10月9日 | 東北東部(磐城〜房総) | 8.0 | 浜家330戸流失、稲大方流れ、塩釜家破損、船97艘、男女死亡75人、怪我人多数、牛馬30死(小名浜・永崎・中之作・薄磯・四倉・江之網(『寛文十一年〜延宝八年磐城御料内大風雨大波洪水之節覚書』) また、同津波を『内藤侯平藩資料』巻三「義泰公」では、「岩城大地震、諸浜津波打上ヶ潰家四八七軒、死人一八九人、牛馬三八疋、船一七九艘流失」と被害を書上。 |
元禄16年(1703) | 11月22日 | 南関東 | 8.0〜8.2 | 元禄大地震発生 夜八時頃、地震強く御家中登城夜明止、度々震。小名浜津波打上大室切通(小川江筋内)崩れる。同日江戸ニテモ大地震(『内藤侯平藩資料』巻三「義泰公」) |
宝永7年(1710) | 8月22日 | 岩城強震、御城廻り破損、御家中潰家二軒、町屋三軒、郷中四軒、怪我人無、馬恙無(内藤侯平藩資料』巻四「義泰公」) | ||
宝暦12年(1762) | 月日 | |||
宝暦12年(1762) | 月日 | |||
天明 | 月日 | |||
寛政 | 月日 | |||
寛政 | 月日 | |||
寛政 | 月日 | |||
文化 | 月日 | |||
天保 | 月日 | |||
天保 | 月日 | |||
天保 | 月日 | |||
弘化 | 月日 | |||
弘化 | 月日 |
明治以降/年 | 月日 | 震源地 | M | 概要 |
明治27年(1894) | 3月22日 | 釧路沖 | 7.9 | 陸中に死者有り |
明治29年(1896) | 6月15日 | 三陸沖 | 明治三陸地震津波東北東部() | |
明治30年(1897) | 8月5日 | |||
明治34年(1901) | 8月9日 | |||
大正4年(1915) | 11月1日 | |||
昭和8年(1933) | 3月3日 | 昭和三陸地震 | ||
昭和13年(1938) | 月日 | |||
昭和13年(1938) | 月日 | |||
昭和13年(1938) | 月日 | |||
昭和13年(1938) | 月日 | |||
昭和14年(1939) | 月日 | |||
昭和15年(1940) | 月日 | |||
昭和18年(1943) | 月日 | |||
昭和27年(1952) | 月日 | |||
昭和27年(1952) | 月日 | |||
昭和28年(1953) | 月日 | |||
昭和35年(1960) | 月日 | |||
昭和35年(1960) | 月日 | |||
昭和35年(1960) | 月日 | |||
昭和38年(1963) | 月日 | |||
昭和39年(1964) | 3月28日 | 8.0 | アラスカ南部 | |
昭和43年(1968) | 5月16日 | 7.9 | 十勝沖 | 津波は、宮古530a、小名浜119a/北海道・東北の被害は、死者52名、負傷者329名、建物全壊329戸、船舶沈没30捜 |
明治以降の津波による被災/地震
註;M=マグニチュード
申し訳ありません。ただいま、編集中です。