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資料−「日本三代実録」より貞観地震の記載部分(2)へ進む。原文  

現代語訳です。注;和暦五月二六日は西暦七月十三日

貞観11年5月26日、陸奥国(東北地方)で大地震があった。流光、昼のごとく隠映する。しばらく人々は泣き叫び、倒れて立つこともできなかった。ある者は家屋が倒壊して圧死し、ある者は裂けた地面に埋もれた。牛馬は驚いて走り出し、あるいは足場を失った。建物の倒壊は数知れず。海は吠え、雷のやうだった。長大な驚くべき波が湧き起こり、たちまち城下に至った。海から数十百里離れたところまで、そのはてが分からないほど広大な範囲が波に襲われた。原野も道路もまったく分からなくなった。船に乗って逃げる暇もなく、山に逃げるのも難しかった。溺死者は1000人ばかり。資産も苗もほとんど何一つ残らなかった。
 

訓読文
五月・・・廿六日癸未(みずのと ひつじ)、陸奥国(みちのくのくに)、地(ち)大いに震(ふ)り動(ふる)へ、流光(りゅうこう)晝(ひる)の如く陰映(いんえい)す。頃之(しばらくのあいだ)に、人民(たみ)叫呼(さけ)び、伏して起(た)つこと不能(あたわず)、或いは屋(いえ)仆(たお)れて壓(お)され死に、或いは地裂けて埋(うづも)れ殪(し)にき。馬牛は駭(おどろ)き奔(はし)りて或いは相昇(あいのぼ)りて踏む。城(郭)倉庫、門、櫓(やぐら)、墻壁(しょうへき)頽(くずれ)落ち顛覆(くつがえ)ること其(そ)の數(かず)を知らず。海口(みなと)哮吼(ほ)え、聲(こえ)雷霆(いかづち)に似(に)たり。驚濤(さかまくなみ)涌潮(うしおわきあが)り、泝(くるめ)き漲長(みなぎ)りて、忽(たちま)ち城下に至り、海を去ること數(すう)十百里、浩々(こうこう)として其(そ)の涯諸(はて)を辨(わきま)へず、原野(はら)も道路(みち)も惣(すべ)て滄溟(うみ)と爲(な)り、船に乗るに遑(いとま)あらず。山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千許(せんばかり)、資産(たから)も苗稼(なえ)も殆(ほとほ)と孑(ひとつ)遺(のこるもの)無(な)かりき。