訓読文
冬十月・・・十三日丁酉(ひのととり)、詔(みことのり)して曰(のたま)ひけらく、羲農(ぎのう)代(よ)を異(こと)にすれども、未だ憂勞(ゆうろう)を隔(へだ)てず。堯舜(ぎょうしゅん)時を殊(こと)にすれども、猶(なお)愛育を均(ひと)しくせり。豈(あに)唯(ただ)地(ち)は周(しゅう)の日にのみ震(ふる)はむや。姫文(きぶん)是(ここ)に於いて躬(み)を責む。旱(ひでり)は殷の年にも流(およ)ぶ。湯帝(とうてい)以(もち)て己(おのれ)を罪(つみ)しき。朕(ちん)寡昧(かまい)を以(もち)て鴻圖(こうと)を欽若(きんじゃく)す。徳を修めて霊心(れいしん)を奉(ほう)じ、政(まつりごと)に莅(のぞ)みて民の望みに従ひ、率土(そつど)の内、同じく福(さいわい)を遂生(すいせい)に保ち、編戸(へんこ)の間、共に災を非命(ひめい)に銷(さ)さしめむと思ふ。而(しか)るに恵化(けいか)孚(まこと)罔(な)く、至誠感せず、上玄(じょうげん)譴(せめ)降(くだ)し、厚載(こうさい)方(ほう)を虧(か)く、如聞(きくならく)、陸奥国境(みちのくに)、地震(ない)尤(もと)も甚だしく、或いは海水暴(にわか)に溢れて患(わずらい)と為(な)り、或いは城宇(じょうう)頻(しき)りに壓(つぶ)れて殃(わざわい)を致(いた)すと。百姓(ひゃくせい)何の辜(つみ)ありてか、斯(こ)の禍毒(くわどく)に罹(あ)ふ。憮然として?(は)じ懼(おそ)れ、責(せめ)深く予(われ)在(あ)り。今使者(つかい)を遣(や)りて、就(ゆ)きて恩煦(おんく)を布(し)かしむ。使、国司與(とも)に民蝦(みんい)を論ぜず、勤めて自ら臨撫(りんぶ)し、既に死にし者は、盡(ことごと)く收殯(しゅうひん)を加へ、其(そ)の存(い)ける者には、詳(つまびらか)に賑恤(しんじゅつ)を崇(かさ)ねよ。其の害を被(こうむ)ること太甚(はなは)だしき者は、租調を輸(いた)さしむるなかれ。鰥寡孤獨(かんかこどく)、窮(きゅう)して自ら立つこと能(あた)はざる者は、在所に斟量(しんりょう)して厚く支(ささ)へ濟(たす)くべし。務めて矜恤(きんじゅつ)之旨を盡(つく)し、朕(ちん)親(みづか)ら覿(み)るが若(ごと)くならしめよ。

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