○岡村委員 まず、プレート間地震ですけれども、1930年代の塩屋崎沖地震を考慮されているんですが、御存じだと思いますが、ここは貞観の津波というか貞観の地震というものがあって、西暦869年でしたか、少なくとも津波に関しては、塩屋崎沖地震とは全く比べ物にならない非常にでかいものが来ているということはもうわかっていて、その調査結果も出ていると思うんですが、それに全く触れられていないところはどうしてなのかということをお聴きしたいんです。
○東京電力(西村) 貞観の地震について、まず地震動の観点から申しますと、まず、被害がそれほど見当たらないということが1点あると思います。あと、規模としては、今回、同時活動を考慮した場合の塩屋崎沖地震でマグニチュード7.9相当ということになるわけですけれども、地震動評価上は、こういったことで検討するということで問題ないかと考えてございます。
○岡村委員 被害がないというのは、どういう根拠に基づいているのでしょうか。少なくともその記述が、信頼できる記述というのは日本三大実録だけだと思うんですよ。それには城が壊れたという記述があるんですよね。だから、そんなに被害が少なかったという判断をする材料はないのではないかと思うんですが。
○東京電力(西村) 済みません、ちょっと言葉が断定的過ぎたかもしれません。御案内のよう
に、歴史地震ということもありますので、今後こういったことがどうであるかということについては、研究的には課題としてとらえるべきだと思っていますが、耐震設計上考慮する地震ということで、福島地点の地震動を考える際には、塩屋崎沖地震で代表できると考えたということでございます。
○岡村委員 どうしてそうなるのかはよくわからないんですけれども、少なくとも津波堆積物は常磐海岸にも来ているんですよね。かなり入っているというのは、もう既に産総研の調査でも、それから、今日は来ておられませんけれども、東北大の調査でもわかっている。ですから、震源域としては、仙台の方だけではなくて、南までかなり来ているということを想定する必要はあるだろう、そういう情報はあると思うんですよね。そのことについて全く触れられていないのは、どうも私は納得できないんです。
○名倉安全審査官 事務局の方から答えさせていただきます。産総研の佐竹さんの知見等が出ておりますので、当然、津波に関しては、距離があったとしても影響が大きいと。もう少し北側だと思いますけれども。地震動評価上の影響につきましては、スペクトル評価式等によりまして、距離を現状の知見で設定したところでどこら辺かということで設定しなければいけないのですけれども、今ある知見で設定してどうかということで、敷地への影響については、事務局の方で確認させていただきたいと考えております。多分、距離的には、規模も含めた上でいくと、たしか影響はこちらの方が大きかったと私は思っていますので、そこら辺はちょっと事務局の方で確認させていただきたいと思います。
 あと、津波の件については、中間報告では、今提出されておりませんので評価しておりませんけれども、当然、そういった産総研の知見とか東北大学の知見がある、津波堆積物とかそういうことがありますので、津波については、貞観の地震についても踏まえた検討を当然して本報告に出してくると考えております。以上です。
(略)
○岡村委員 先ほどの繰り返しになりますけれども、海溝型地震で、塩屋崎のマグニチュード7.36程度で、これで妥当だと判断すると断言してしまうのは、やはりまだ早いのではないか。少なくとも貞観の佐竹さんのモデルはマグニチュード8.5前後だったと思うんですね。想定波源域は少し海側というか遠かったかもしれませんが、やはりそれを無視することはできないだろうと。そのことに関して何か記述は必要だろうと思います。

総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤 合同WG(第32回)議事録2009年

岡村行信氏 産総研活断層・地震研究センター所長

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東電、貞観大津波も過小評価か 4メートル未満と推定

 東日本大震災の大津波の前例と指摘される869年の「貞観(じょうがん)の大津波」について、東京電力が福島県内の津波は4メートル未満と推定する調査結果をまとめていた。大津波の可能性を小さく評価する内容。22日から始まった日本地球惑星科学連合大会に発表を申し込んでいた。
 東電は、2009年から10年にかけて、福島県内の5地点で貞観の大津波で運ばれた砂を調べた。この結果、南相馬市で高さ3メートルの地点に砂があったが、4メートルの地点では見つからなかったとして、津波が海岸に駆け上がった高さは「最大で4メートル未満」と結論づけた。
 富岡町からいわき市にかけては津波で運ばれた砂は見つからず、「標高4〜5メートルを超える津波はなかった可能性が高い」とした

弥生時代にも今回並みの津波 仙台平野、東北学院大調査
5月18日付朝日新聞

 東日本大震災で津波に襲われた仙台平野は、約2千年前の弥生時代の津波でも同程度浸水していた可能性があることが、東北学院大の松本秀明教授(地形学)らの地質調査でわかった。仙台平野は869年の貞観(じょうがん)津波でも同規模の浸水が起きている。
 松本教授らは、今回、津波が海岸線から約4キロ内陸まで到達した仙台市若林区で、津波の到達した距離と津波で運ばれた砂や泥の関係を調べた。海岸線から約3キロまでは砂だったが、その先は粒子が細かい泥が堆積(たいせき)していた。
 この調査結果と、仙台市教育委員会と数年前に調べた約2千年前に津波に襲われた水田跡がある沓形遺跡のデータを比較。海岸線から約2.5キロ内陸まで砂が到達した約2千年前の津波は、約3.3〜4.1キロ内陸まで達したと結論づけた。
 貞観津波も同じ規模だったと見られることから、松本教授は「地震の起こり方がはっきりわからないので、千年周期で津波が起こるとまでは言い切れないが、同規模の津波が繰り返し起こっていたという事実は大きい」と話した。