速報版 コラム 「凡言録」より 3月12日

東・関大震災−2

火災は、朝までに50棟を焼いて鎮火した。海岸端の親戚宅に行こうとした。通りから海の方に行って見ると家々は津波で瓦礫の山になっていた。堤防を進もうとしたが、危険だと止められた。

▼義母が入院する四倉の病院も津波に襲われ、院内は泥だらけだった。義母ら療養病棟の入居者は看護師に背負われて3階に避難していた。薄い布団で床に寝せられていた。事情が理解できない義母は興奮し、「変だ、変だ」といって、娘(わが妻)の名前を大声で呼んでいた。

▼東電福島原発の1号機は冷却水が減り、核燃料棒が露出した、炉心溶融が起きたと、テレビは報じた。午後3時半、1号機の建屋は鉄骨あらわの姿になった。第一原発から20キロ以内、第二原発から10キロ以内の住民に避難指示。原発立地の大熊、富岡町民は阿武隈山間部に避難を始めた

▼第一から30キロ余、第二から10キロ余の久之浜。恐れていたことが現実に。家から外出するな、帽子、マスクなど着用して肌をさらすなと、テレビが叫んでいる。


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