震災報告46−あれから半年 9月11日(日)晴れ後曇り。

 今日、3.11大震災から半年 

 東日本大震災から半年の今日、各報道機関は、特集をおこなっています。

 また、世界を驚かせたアメリカ貿易センタービル同時多発破壊事件から10年です。

 巨大地震とそれに伴う巨大津波が多くの人命を亡くしました。安全と言われ続けた、原発は、この巨大津波で電源喪失という未だ、収束の目途さえ見えない東京電力福島第一原発の事故もこの巨大地震と巨大津波、過信した安全という言葉に惑わされ、被爆という最悪の事態になっています。「やらせ」や多くの「事故隠し」など多くの問題を抱えながら、国策として押し進めてきた原子力政策を見直すべきです。自然災害でなく、人災の原発は、今、エネルギー確保で必要との議論がまことしやかに語り始められています。

 危険性は、「日本ではほとんど起こり得ない」と安全委員会は認め、それを東電をはじめとする原子力各社は、安全を怠ってきたのです。

 日本は、地震の巣の上に成り立っている島国です。過去に多くの地震で大きな被害が出ています。当時と違うのは、原子力という今までの地震の際、無かった物が有るという事実です。

震災報告トップへ戻る
草木庵トップページへ戻る
発生日時 名称 震源 規模
(M)
震度
(最大)
津波
(最大)
犠牲者
869年7月9日[1]
貞観11年5月26日
貞観地震 震央 8.3 - 8.6 死者約1,000人
1611年12月2日14時頃
慶長16年10月28日
慶長三陸地震 震央 8.1 20m? 死者2000 - 5000人
1896年6月15日19時32分
明治29年)
明治三陸地震 震央 8.2 - 8.5 震度3 38.2m 死者・行方不明者21,959人
1933年3月3日2時30分
昭和8年)
昭和三陸地震 震央 8.1 震度5 28.7m 死者1522名
行方不明者1542名
2011年3月11日14時46分
(平成23年)
東北地方
太平洋沖地震
震央 9.0 震度7 40.5m[2] 死者・行方不明者2万人以上[2]

主な地震の一覧

東北地方太平洋沖地震東日本大震災)は日本の観測史上最大規模であり、貞観地震宝永地震と並び日本史上最大級の地震とされている。以下は、地震及び津波により大きな被害を出した三陸沖を震源とする地震の一覧である。             

「主な地震の一覧」はWikipediaから

東京大学地震研究所のHPより

知人から〜東日本を襲った大地震が「1000年に1度」の揺れだった可能性を専門家が指摘している〜とメール添付が届く。概略は以下のとおり。

 古村孝志・東大地震研教授によると、869年に発生した「貞観(じょうがん)地震」と酷似しているという。貞観地震は三陸沖を震源とするマグニチュード8・3の巨大地震で、城郭などが壊れ、津波が多賀城下を襲って約1000人が溺死、広範囲に津波が達したと考えられている。地震調査委の阿部勝征委員長も同じ見解を示している。酒井慎一・東大地震研准教授は「今回のような4つの震源域が連動する地震は誰も考えていなかった」と話している。30数年周期で発生想定の宮城県沖地震はM7・5クラスで、今回はその約90倍、阪神大震災の約180倍のエネルギーという。貞観地震は1707年の宝永地震(M8・6)と並び、日本史上最大とされる。貞観3年(861年)には世界最古の目撃がある隕石が落下。貞観6年(864)には富士山が噴火、この時代は天変地異が相次いだ。

                        この部分はブログ洋洋日記から

大津波450〜800年周期か 東北太平洋岸、貞観地震挟み
 東日本大震災で津波被害を受けた宮城県から福島県にかけての太平洋岸では、「貞観地震」(869年)を挟み、約450〜800年間隔で大津波が起きていたとみられることが18日までに、産業技術総合研究所の分析で分かった。

 貞観地震では、津波で運ばれた砂などの堆積物から仙台、石巻平野は海岸線から3〜4キロ、福島県南相馬市では1キロ以上、内陸に津波が到達したとみられていたが、大震災の津波との比較検討から、さらに1〜2キロ内陸に及んでいた可能性が高いとした。堆積物から割り出したほかの巨大地震の津波想定も、過小な恐れがある。

 22日から千葉市で開催される日本地球惑星科学連合大会で発表する。

 産総研は、仙台市若林区と宮城県山元町、南相馬市で、過去に津波が運んだ砂の堆積物分布を調査。堆積物内の植物の化石に含まれる放射性炭素から年代を測定した。

 その結果(1)紀元前390年ごろ(2)西暦430年ごろ(3)869年の貞観地震(4)1500年ごろ―の津波によるとみられる堆積物を確認。産総研は、450〜800年程度の周期で、東日本大震災の津波もこのサイクルに含まれ、貞観と430年ごろの津波の規模は大震災と同程度とみている。

 1500年ごろの津波の記録は見つかっていないが、産総研は「記録は作られたが、失われた可能性もある」としている。

 また仙台、石巻平野では東日本大震災の津波で、海岸から2・2〜3・2キロまで砂などが運ばれていたが、浸水はさらに1・2〜1・9キロ内陸に達していたことを確認。貞観津波も砂などの到達距離より1〜2キロ内陸に達していた可能性が高いとした。       

                     47newsから2011/05/18 18:16 【共同通信】

クイックすると画像が大きくなります。

震災報告−あれから半年 9月12日(月) 晴れ。3.11東日本大震災と4.11M7.0の地震で大きな被害を受けたいわき市藤原町のスパリゾートハワイアンズは、10月1日から再開します。

 今日は、中秋の名月、薄曇りの中まん丸のお月さんが東の空にあがりました。

超々巨大地震マグニチュード9.6の可能性か?
海洋プレート年代説の見直しで、インド洋のジャワ海溝では
マグニチュード9.6(単純計算をすると東日本大震災の約7.5倍のエネルギー)の地震が起こる可能性が指摘されているそうです。

ただ、Mw9.5を記録した1960年チリ地震をも上回る沈み込むプレート境界での超々巨大地震の発生間隔は数万年単位かもしれません。

参考HP
八木勇治 _ 筑波大学
http://www.geol.tsukuba.ac.jp/~yagi-y/

今日、東電が補償賠償の為の書類を発送し始めたとのこと。その中身は?対象は、政府などが避難指示をおこなった被災者、6万とのこと。自主的避難は、対象外に置かれてしまっています。政府や東電に翻弄させられ、遠くは、沖縄をはじめ全国46都道府県に散らばった県民は、その怒りの矛先を何処に向ければいいのであろうか。東北の人たちは、我慢強いと、やたら言い回されています。辛抱するのが美徳との世論形成を、マスコミがおこなっているように思えてしたが有りません。

震災報告47−あれから半年 9月13日(火) 晴れ。一時曇り。

 夕方大雨洪水注意報が出たが雨降らず。自転車で買い物に行きました。途中、いわきを震源とする4.11地震で発生した藤原断層(湯ノ岳断層の東側)の4月29日に藤原断層を写した場所に脚を運びました。ここは、正確に言えば5ヶ月目という事になります。

断層が走った田圃は、作付けが出来ず、雑草に覆われていました。竹の先にリボンが立っているところは、断層が走った所です。

稲の作付けをしたところは、黄金色の穂が頭を垂れ、収穫の季節になっていました。

来年の作付けに向けての工事が始まっていました。

県道湯本−石川線バイパスの歩道を走りました

到る所に亀裂や、陥没、があり、自転車で走るのも注意して走らないと危険です。

4.11地震で崩落し、歩道が一時通行不能になっていました。土嚢が積んでありました。

震災報告47 あれから半年へ進む

今日、13日野田首相の所信表明があり、原発「再稼働」、増税を打ち出し、沖縄の米軍普天間基地問題では、名護市辺野古への新基地建設の推進、TPPも推進と国民が切望することとは、全く反対の路線に舵を切り始めました。

 枝野経済産業省大臣は、来県し佐藤県知事と会談。

 福島県議会全員協議会に深野弘行経済産業省原子力安全・保安院長が、出席ました。

 東電は、12日 2週間前より放射性物質が10〜100倍高くなっている発表しました。

震災報告−あれから半年 9月14日(水) 晴れ時々曇り。

  原発事故発生の前、3月1日の新聞によると、新たに33機器に及ぶ点検漏れが、福島第一原発で見つかったと報道。2月28日東京電力は、経産省原子力・保安院に調査結果の最終報告をおこなった、と報道。その他福島第二原発で21機器、柏崎刈羽原発で375機器で点検漏れが有った事を報告。(福島民友による)

震災報告−あれから半年 9月15日(木) 晴天。

 今朝の福島民友新聞に、二面にわたって「警戒、計画的避難区域を除く県内空間放射線量の測定値」なるものを県と政府の原子力災害対策本部が8月25日〜9月7日警戒、計画的避難区域の両地区を除く県内1477地点で計測しその速報値を発表したと報道しました。測定は、地上1bであるとしています。

 午後5時00分M6.2茨城県沖で地震最大震度4茨城県・水戸、関東、東北南部震度3津波の心配無し。湯ノ岳では感じず。

震災報告−あれから半年 9月16日(金) 晴天。猫が5年かけて、アメリカ大陸横断2800`との報道有り。

震災報告−あれから半年 9月17日(土) 晴れ時々曇り。草取り。里芋収穫、早すぎた。でも美味しかった。晩秋霜の降りる頃に収穫すべきとのこと。あと8割残っているから、楽しみ待つこととします。

 

震災報告−あれから半年 9月18日(日) 晴れ。一時曇り。 平和集会に行かず。明日は、老人の日。以前は15日固定だったが。

震災報告−あれから半年 9月19日(月) 晴れ後曇り夕刻から雨。午後から寒くなり、夕方には、18度になった。6時と9時のNHKニュースで9.19集会について報道。9時のニュースで主催者発表6万人、警視庁発表2万との報道。

 福島県川俣製の花火は打ち上げ出来ず。愛知県日進市の復興支援行事で、18日行われた花火大会で、市民の苦情『放射線心配』で80発中止。「震災以前の製造の花火だったのに」と花火師の菅野忠夫さんは、困惑だった。

 大江健三郎さんの集会での発言要旨は次の通り。
 二つの文章を引用する。第一は、私の先生の渡辺一夫さん=故人・仏文学者=の文章だ。「狂気なしでは偉大な事業は成し遂げられない、と言う人々もいるが、それはうそだ。狂気によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴う」。これは今、次のように読み直せるだろう。「原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられない、と言う人々もいるが、それはうそだ。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴う」 
 第二の文章は、新聞から。イタリアの原発に関する国民投票で、反対が9割を占めたことに対し、自民党の(石原伸晃)幹事長が「集団ヒステリー状態になるのは心情として分かる。反原発と言うのは簡単だが、生活をどうするのかということに立ち返ると、9割が原発反対だからやめましょうという簡単な問題ではない」と言った。イタリアではもう決して、人間の命が原発により脅かされることはない。しかし日本人は、これからさらに原発の事故を恐れなければならない。私らはそれに抵抗する意思を持っているということを、想像力を持たない政党幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要がある。そのために何ができるか。私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましよう。(9月20日付け福島民友新聞より)

 台風15号が九州、四国、東海地方に水害の被害が多く出ています。台風12号で大きな被害が出た和歌山県、奈良県も心配です。

 今朝の新聞に小さく、「いわき倒壊家屋から遺体」の記事。県警は19日、いわき市豊間の倒壊家屋の瓦礫の中から、3.11東日本大震災の犠牲者とみられる女性の遺体1体を発見した。瓦礫撤去作業中の住民が見つけた。と報道しています。

 日本原子力学会の大会が、19日から開催され、東北大学名誉教授の首藤伸夫さんが、同学会会員では教授が、特別講演を行ったと報道しています。23年前首藤名誉教授は、津波の危険性を指摘していました。
 1988年11月号の「電力土木」に掲載された論文で、『電気系統などが海水に浸かって障害をを起こす。過去に被害が無くても対策は、講じられなくてはならない』と述べています。
 「想定外だったと一生懸命騒いでいるがそういう姿勢では大災害には、備えることが出来ない。」 「過去に被害の例が無くても対策は講じられなくてはならない。」と述べ「津波対策をやるときは、想像力を働かせ、昔の津波がここに来たら、今の沿岸地域では、何が起きるのかを考えながら、津波対策をやらなければ」と、述べていました。
 東京電力福島第一原発を襲った津波は、13.1mで東電や国の想定は、5.7mでした。

 原発事故の賠償請求 弁護団結成へ準備会発足−いわき、設立趣旨説明−
 原発事故による損害賠償などを求める被害者らを支援する「福島原発被害請求弁護団(仮称)」の準備会が19日、いわき市で開催されました。準備会には、いわき市の広田次男弁護士ら福島県の7人の弁護士の外、趣旨に賛同する関東の弁護士ら30名が参加。問い合わせ先は、広田次男法律事務所(電話;0246-24-2340)まで

19日、福島県内の震度1以上の地震は、19日(午後9時まで)4回

震災報告−あれから半年 9月20日(火) 雨。昨日19日、おこなわれた東京・明治公園で「さよなら原発」集会に6万人の参加の中で開催されました。

9.19集会の写真は、湯本 渡辺藤一氏提供