震災報告8−4月2日薄磯地域の被災報告

震災報告9−4月3日小名浜・アクアマリン

薄磯からの塩屋崎灯台

その向かいに「共に立ち上がりましょう」の看板

塩屋崎・薄磯入る道

広報の塔あたりに、消防の詰め所がありました

     消防車の前の部分     それから100m以上離れたところに後ろの部分が瓦礫の中に

思い出を、行方不明の家族を探す被災者 放射能汚染の危険にさらされながら

再会を喜び合う被災者たち。

震災直後火災発生し、焼けたかまぼこ工場

被災にあった車を、通行止めに

ピアノが無残な姿になっていました。3.11当日まで奏でていたであろう平凡な生活

海の砂が当たり一面

いわき信用組合の塩屋崎支店は、壊滅です。ここの支店では、多くの行員の方が、亡くなられなした。

 薄磯や豊間で出会った被災した人から聞いた話では、3.11の地震直後、余震が続く中、後かたづけや、路上で近所の人同士で立ち話(井戸端会議)をしていたと言います。その後、津波が来たと言います。(4月2日聞いた時には、この様な事を書いて良いかと思っていましたが、今日10月2日追加挿入します。)

3.11までの生活のにおいが瓦礫とともに春の日に……

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追記>2011.12.29〜2012.1.1放射線測定したとき海岸沿いの立ち木の一つ8〜9.9マイクロシーベルト/毎時を計測しました。このころは、放射線測定器も無く、ひたすら被災の写真を取り巻くっていました。