コラム「凡言録」より10月14日

 『津波と村』

東日本大震災の3か月後1943年(昭和18年)刊の故山口弥一郎著『津波と村』が復元刊行された。山口は会津高校の先輩で民俗学者と承知していたが、津波の研究をされていたとは知らなかった▼

山口は東北大学の田中館秀三に誘われて、1935年から三陸海岸の集落を歩き、昭和三陸津波の被害と復興状況を調べた。被害の状況と生業の種類から集落移動との関係を明らかにしようとした▼

民俗学を師事した柳田国男から「漁民にも親しく読める物を書け」と勧められ、一気に『津波と村』を書いた。山口は調査研究を通じて、高台への移住が絶対安全であることを強調した。漁民は高台へ移住したが、海岸かり離れた生活は不便と、元の土地に戻る例が多かった。経済的理由だけでなく先祖がら受け継いだ土地への愛着があった▼

明治と昭和と2目三陸津波で全減した岩手県宮古市姉吉地区は津波碑に刻まれた「此処より下に家を建てるな」の教訓を守り、今回の大津波でも高台の住居は無事だった。山口の指摘のとおりだ。(10月14日)

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