コラム「凡言録」より10月5日


 津波碑

津波にたびたび襲われて被害を受けてきた地には、津波の災禍を後世に伝える津波碑がある。立命館大の北原糸子教授が20年ほど前に調査した。青森、岩手、宮城の3県では明治三陸津波の碑が124基岩手114、宮城10)。昭和三陸津渡の碑が157基(青森7、岩手84、宮城66)、その他が35基ある▼

岩手県の旧重茂村姉吉地区(現宮古市)は、明治三陸津波(明治29年)と昭和三陸津波(昭和8年)で2回全減した。生存者は「明治」が2人、「昭和」が4人。地区にある大津波記念碑には津波体験の痛切な教訓が刻まれている▼

「高き住居は児孫の和楽/想へ惨禍の大津波/此処より下に家を建てるな…幾歳/経るとも/要心あれ」。「此処」は2つの大津波が到達した最高点よりも高いところを指している▼

北原教授は「津波を経験した先祖たちが、村の未来を託した子孫への警鐘を石に刻した津波碑は…災害の記憶を明日にいかす文化財」と、「朝日」に書いている。3・11大津波の碑にはどんな教訓が刻まれるだろうか。(10月5日)


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