コラム「凡言録」より5月26日

 貞観地震@


平安時代の869年貞観(じょうかん11年5月26旦陸奥国で大地震が発生した。推定マグニチュード8・4の巨大地震、猛烈な津波が襲った。「貞観地震・津波」といわれ、『日本三代実録』に記述がある▼

「夜にも関わらず発光現象が起きて、昼のように明るくなった。家の倒壊や地割れで生き埋めになり、多数の被害者が出た---陸奥国府の多賀城の城郭、倉庫、門櫓、壁は崩れ落ち、被害を数えることもできない▼

海が雷のよう音をたてた。荒れ狂う海は渦巻きながら膨張し---数十、百里に広がり、どこが地上と海の境だったのか分からなくなった---溺死したものは一千人を数える。人々は資産も来年植える苗も失い、ほとんど手元に残るものはなかった」▼

大和政権は地震から3か月後、被災地に「検陸奥国地震使」を派遣した。その実査報告による清和天皇の詔書には「陸奥国境地震尤も盲甚だし」とある。常陸と陸奥の国境には勿来関があり、多賀城に限らず、広く福島県の浜通り(太平洋側)も大被害を被ったのだ。(5月26日)


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