コラム「凡言録」より5月30日
『般若心経』
宇都宮市の病院に避難していた義母は21日から酸素マスクをつけるようになった。容態は改善せず、28日午後7時35分に亡くなった。97歳4ヵ月と23日生きた。地震と津波、原発事故で避難することがなかったら100歳まで生きられたと思う▼
義母の最後の言葉は「うっちゃ(家に)帰る」だった。宇都宮の葬祭場の小さなホールで、いわきから行った息子、孫ら14人で僧侶も頼まず通夜をした。酒を飲みながら、義母が好きだった「白虎隊」「旅の夜風」「誰か故郷を想わざる」を歌った▼
出棺のとき、ホールで用意してくれた『般若心経』266文字をみんなで朗読した。「観自在菩薩行深般若羅蜜多時(かんじざいぼさぎょうじんはんにゃはらみたじ)---」。聞き覚えがある「色即是空空即是色」が出てきた▼
火葬場へ向かうときは激しい風雨。僧侶に読経をお願いし、茶毘に付した。船主の家に生まれ、小さいときから魚をたくさん食べていた義母の骨は太かった。宇都宮に避難して74日目、義母は久之浜に還づた。(5月30日)