コラム「凡言録」より6月6日

 井戸を掘った人@

中国に一水を飲むときは、井戸を掘った人を忘れるな」という言葉がある。東電は「井戸を掘った人への感謝を語り継ぐ」気持ちから、『共生と共進―地域とともに―福島第一原子力発電所45年のあゆみ』を編纂した。63年(昭和38年)、大熊町の常磐線大野駅前に原発立地のための調査所仮事務所設置から45年目の08年3月に発行された▼
原発事故が起きて、原発の地元をはじめ福島県民の生活がめちゃめちゃに破壊された。こんな危険な井戸を掘ったのは、誰だったのか。そもそもは55年5月、通産省が『電力白書』で10年後に原子力発電の必要性を打ち出した▼
東電は同年10月に原子力発電課を設けて研究体制がスタート。61年6月に大熊、双葉両町にまたがる土地の取得を決め、福島県への原発立地が動きだした▼
大熊町長を務めた志賀秀朗氏によると、原発は福島県と大熊町、双葉町が一体となって誘致した。当時、木川田一隆東電社長(福島県梁川町出身)、天野光晴衆院議員、佐藤善一郎知事らが原発誘致の先頭に立った。(6月6日)


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