コラム「凡言録」より6月7日


 井戸を掘った人A


原発が立地した土地は陸軍の飛行場跡地で、戦後、大部分は磐城塩業と国土計画が買収し、塩田事業を始めた。国土計画は堤康次郎(西武)の会社である。国施策の塩田事業だったが、国内で塩生産が進んだため、国の命令で両社は生産をやめ、東電に土地を売った▼
双葉郡地方は「福島県のチベット」といわれ、貧しい地域で、1年の3分の2以上が出稼ぎという家庭も多かった。タヌキやキツネと一緒に暮らすところに大きな会社が誘致されるのは大変よいこと、と住民から喜ばれた▼
原発が建設されるごとに地元町には多額の電源三法交付金が入り、道路舗装や上下水道、
学校整備などが進んだ。地域振興のため原発増設は欠かせないと考えるようになった。原発や関連業務で働く場所が増え、「東電に助けられた」との思いが強くなった▼
大熊町の県原子力センター前を通るとき、住民は下を向き息をしないで足早に通り過ぎる。放射能が出ていると思い、怖かった。原発事故で地域との共生は壊れた。いま住民の原
発への思いは。(6月7日)


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