コラム「凡言録」より7月14日
「朝日」と原発A
「提言」は大筋納得できる。原子力社説の変遷を検証し、原発推進からチュルノブイリ事故を転機に原発抑制へ変化したが、「危うさへの感度足りず」と反省を示している▼
「朝日」は79年8月、全国の支局、通信局などで原子力問題を担当する第一線記者21人を集めて研修会を開いた。「朝日」の原発報道の姿勢が「NO,but」(基本的には反対)から、「YES,but」基本的に賛成)に変わったことを徹底するためだった▼
論説主幹は「日本の原発に関する限り、人間の生命に関するような大きな事故が起こる可能性はまずない」とのべた。マスコミは「安全神話」の語り部になった▼
「朝日」の原発賛成への動きは研修会の5年前、1974年から始まる。石油危機で広告が少なくなり、原発賛成の意見広告を解禁した。「朝日」に数カ月送れて「読売」、「読売」に遅れること1年「毎日」も原発賛成に転向した(志村嘉一郎著東電帝国その失敗の本質』)。著者は「朝日」元経済部記者で原発に大賛成だった人。(7月14日)