コラム「凡言録」より9月5日

 坂上田村麻呂

平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂の生誕記念碑が郡山市田村町徳定に建てられた。田村麻呂の口伝や史跡、伝説が郡山・田村地方ほど残る場所は他にないという▼

田村麻呂が生まれた758年(天平宝字2年)、陸奥は多賀城まで大和朝廷の支配下にあったが、辺境で生まれた田村麻呂が、どうして征夷大将軍にまでなったのか。太閣秀吉や田中角栄に勝る大出世だ▼

伝記を読むと、田村麻呂は平城京郊外の田村の里で生まれた。坂上氏は朝鮮半島からの渡来人の家系だ(豊田有恒『坂上田村麻呂)。だから田村町徳定の生誕碑の頭には「伝」と刻まれている。京郡・清水寺の森貫主が除幕式に出席たのは、田村麻呂が清水寺の創建にかかわったという縁だ▼

蝦夷の大酋長アテルイ(阿弓流為)は侵略者の田村麻呂と何回も戦った。田村麻呂はアテルイが立派な人物であることを知り、しだいに好意を寄せはじめる。アテルイはついに降伏し、都に送られた。田村麻呂の助命嘆願にもかかわら、宮廷貴族はアテルイの命を奪った。(9月5日)


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