8月1日(月)曇り。3.11東日本大震災から5か月目の月に入った。お盆の月です。サイクルゴミ出しに行く。お風呂に行く。夜、HPアップ。原発、1万ミリシーベルトを計測したとのこと。異常だ。

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8月2日(火) 曇り風弱し。小名浜の花火大会は、縮小して行われるとの報道。被災地同時に開催するとのこと。8月11日午後7時から7時半間での30分間です。

 蔵書の中から、1979年6月発行の「文化評論」を見つけ、『原発=崩壊した安全神話』対談の掲載を読みました。一部紹介します。この対談には、中島篤之助(学術会議会員)・安斎育朗(日本科学者会議原子力研究委員会委員長)・村上隆(原子力問題情報センター事務局長)・浅見善吉(日本共産党科学技術部部長)の各氏の参加で、アメリカ東部ペンシルベニア州スリーマイル島の原発事故(1979年3月28日)を受けての特別企画でした。

このスリーマイル島の原発事故に鑑み、4月3日政府に日本科学者会議として安斎育朗氏は、申し入れたと述べています。その内容は。

1原子力安全委員会は、原子力発電の安全性についての徹底的な総括作業を大規模に組織・実行し、その検討経過および結果を全面的に国民に公表すること。総括作業の実施にあたっては、日本学術会議の意向を尊重し、厳正申立の立場で広く科学者の協力を求めること。
2上記総括作業の結論をふまえて、原子力発電霞の可否に関する国民的判断が示されるまで、すべての原子力発電計画を凍結すること。既設の原子力発電所についても、その運転をただちに停止すること。

また、各政党の原発に対する態度についてこのように指摘しています。

 無責任な公明・民社の「原発推進」

(浅見) 原子力防災がやられていないことについては、民社党、新自由クラブの責任も大きい。民社党は、同党の中村利次参院議員が「原子力の安全はすでに確立している。実用化の時代」といい切り、四月十日の参院科技特委では「事故で政府はショックを受けたと思うが、ひるまずがんばれ」とまでいっています。新自由クラブも、自民党政府の原発開発計画を大幅に上まわる「昭和五十六年度目標五千万キロワット七十五年一億キロワット」をあげ、党としてその実現をめざすとまでいって積極推進です。公明党も、七五年十一月号の『財界さっほろ』が報じたように、竹入委員長が同年九月道内財界人との懇談の席で〃原発をみとめる"と発言して以後、安全性の確保を条件にだしながらも原発促進へ大きくかたよった姿勢を取っていし、昨年一月の党大会で竹入委員長は、連合政権の共同政府綱領づくりへの五つの問題点をあげるなかで、「当面は原発抜きにエネルギー供給関係は考えられない」と原発の促進の態度をきめているように「原発は安全」に立っているのですから、防災など頭にないわけです。以上「文化評論」より

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1957年10月7日 イギリス ウィンズケール炉の大火災事故、ヨウ素131がおよそ740兆ベクレル放出。

1979年3月28日 アメリカ スリーマイル島の原発事故

1986年4月26日 ソ連(当時) チェルノブイリ原発で爆発事故発生原子炉破壊レベル7

8月3日(水) 曇り一時雨時々晴れ。一昨日、HPの容量申請したのの確認と200にアップになっていたためHPの更新を行う。帰り、植田の宮川宅に資料を持っていく。植田の仮ゴミ置き場大変多い。鮫川沿いの空き地におかれた被災ゴミ。放射能がどれだけあるか、周辺の住民の不安は、大きいようです。湯本の祭りがおこなわれていました。常磐にも仮設住宅建設しています。

東京大学地震研究所のHPより

8月4日 曇り一時晴れ。HP修正。コラム原稿取りに、久之浜の高木さん宅に行き原稿頂きました。

8月5日 曇り時々晴れ。 昨日のコラムHP編集。

8月6日(土)朝から晴れ。世界最初の原爆投下から66年。広島平和式典を見る。8時15分黙祷。夜9時からのNHKスペシャルで「原爆投下 活かされなかった極秘情報」として広島・長崎に原爆投下する前に、当時の日本政府は、知っていた。ことを伝えました。しかし、警報解除、警報の発令無しなど、軍部の戦争責任で自らのことばかり心配していたこととを報じました。今回の、東電・福島原発事故政府の対応と自民・公明の足の引っ張り合いと重なります。

小学校1年のとき、広島に祖母と母と3人で行ったことがあります。青春時代の思い出に記載しています。

1979年夏、東京・中野区代表団の一員として原水爆禁止世界大会に参加した時の写真を紹介します。

暑い陽が射し、タオルで汗を拭いながら

故田副久男中野区会議員を団長に15名の団員とともに

宇部にいる同級生の松原君から今朝、届いた暑中見舞いです。島根県でも、風力発電が行われているようです。

「福島原発事故」安斎育郎著より

8月7日(日) 晴れ。今回の震災は、「千年に一度」の大震災との論調がしきりに言われる。大震災は、今まで数多く起こっている。これから起こるであろう東南海地震や関東地震などいつ起こるか解らない。

今回の3.11大震災は、予想だにしていなかった。地震学者も、3.11前9日、10日の地震が本震だと思っていたようだ。調査に出会った調査員も、前震を本震と思っていたと述べた。

8月8日(月) 晴れ時々曇り一時雨。午後、掃除する。

8月9日(火) 晴れ。朝霧深し。ゴミ出し。起きたらイノシシに、庭の草木を根こそぎやられました。鬼百合食いちぎられる。少し花壇を直す。小さな畑は、フェンスで囲っていたため、被害無し。

午前10半から始まった被爆66年の長崎平和記念式典を見る。田上市長の平和宣言は、東京電力福島第一原発事故にあった人々に思いを馳せ、3.11震災で被災した人々にこのようなことが起こらないようと。またいわきの若者が、40名招待され、久之浜で被災した女子中学生のドキュメントも放送されました。

午後から簡易放射線測定器を藤原の公民館に借りに行く。測定開始。斑堂、藤原小学校、別所と植田の中岡町5丁目を測定。藤原小学校で高い値の所がありました。常磐ボーリング会社の所で測定していたら、会社の労働者のみなさんが出てきて、4月27日に常磐ボーリングの資材置き場を撮影したことを話すと、「あのころは、断層が動いていたんだよ。巻き込まれなくてよかった。」と心配してくれました。

放射線測定には、多くの人が関心を持っていることが解りました。藤原町でも植田でも、自分の家も畑も測定して欲しい。道路脇のところが高いようだから測定して欲しいとの声。

震災報告38−8月1日〜8月10日

8月10日(水) 晴れ。暑い一日、明日も暑いとの予報。朝測定器を返しに公民館に行く。また申し込む。16日午後から借りことにしました。

→雨←

→雨〜〜雪←

いわき湯ノ岳草木庵の天気