震災報告51−あれから半年−10月11日 晴れ時々曇り。

 3.11から7ヶ月、4.11から半年、タラの目、ウド、ワラビ、シュンラン、コゴミの頃でした。春の雪が降ったり、桜が咲いていたあのころから、今は、紅葉の山肌になってきています。山には、クルミ、アケビ、山ブドウ、クリ、ジネンジョウ、ムカゴ等々、秋の食材が豊富になってきました。

 久之浜第一小学校などが、除染などを行った結果、今日から普段通りの授業が始まりました。

 東電は、4nの個人向けの被災者の簡易案内書を作成したと報道しています。164nの案内書に不満が続出。

 避難することが出来なかった人は、どうなるのだろう?しなかったのが悪いのか?日本各地に散らばった人を救援するのは、当たり前。外国に行った人もいる。仕事上やむを得ずとどまった人、お金が無く、行く当てすらなかった人、障害があるため、みんなに迷惑をかけるから避難所にも行くのをためらった人。みんな被災者だ。

 被災し、風評被害で福島の旅館経営が行き詰まった人に、東電は、「20lは地震によるものだ。」という。20l差し引いたのを支払うとのこと。

 殺人者が自分の罪は、20l罪がないのだからと言うのと同じだ。

 政府は、叙染財政措置の基準を年間1_シーベルトも対象にと変更。

 惑わす政府!最初から線引きなどしなければ県民の感情をここまで怒らせる事はなかったのに。1_シーベルトの線引きはするな!全ての放射線影響に対し補償せよ!

 郡山市で作られ、大阪府が発注した橋梁の搬入を中止したとのこと、大阪府河内長野市での出来事。大阪府によると8月に表面を測定したところ、毎時0.80マイクロシーベルトあったとのこと。河内長野市の芝田啓治市長は、郡山市を訪れ、釈明したとのこと。

 10日、大分県由布市湯布院町で行われた「第37回牛喰い絶叫大会」のイベントで、近藤和義県議は、「セシウム牛は要りません」と絶叫したとのこと。

 火山噴火予知連絡会は、11日、東日本大震災以降、東北地方では複数の火山が活発化しているとのこと。

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震災報告−あれから半年−10月12日(水) 晴れ。

 上遠野の公民館に市民講座の申し込みに行きました。「地震によって引き起こされた土砂災害」と題して12月10日開催されます。今日申し込み開始、すでに10時頃には、10数名申し込みあり関心の高さが伺いしれます。また、藤原公民館に放射線測定器を借りに行ったところ、今日午後からでないは、空いているとのこと。これも今だ関心が高いようです。

 斑堂団地を回りましたが、すでに地震で半壊、全壊の何件かの家が取り壊され、また今日、新たに取り壊しを行っていました。約80戸の団地ですが、合計約5棟が取り壊される予定とのこと。

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  なくせ!原発 安心して住み続けられる福島を! 10.30大集会が10月30日開催されます。みなさん参加しましょう。

10月13日(木) 曇り時々晴れ。

 放射線の測定を裏山及び斑堂住宅で行いました。藤原小学校の通学路の一部で1マイクロシーベルトと越す数値を計測しました。朝、パノラマラインの工事の知らせを渡辺組が施工書を持ってきました。

10月14日(金) 曇り時々晴れ夜雨。ゴミ出し。計測器返却。里芋収穫。

 九州電力は、「やらせ」問題の最終報告書を経済産業省に提出したとのこと。九電第三者委員会認定を黙殺したとの報道。

10月15日(土) 雨時々曇り。午後1時からいわき市植田町のマルト中岡店前で時々小雨降る中、日本共産党の街頭演説会が行われまいた。弁士に日本共産党市田書記局長・参議院議員、県会議員宮川えみ子さん、元県議の長谷部あつしさんが行いました。いわき市の共産党地区委員会は、いわき選挙区で県議に複数議席を目指しています。

 私たち日本人は、度重なる放射線被曝を重ねてきました。広島・長崎の原爆からはじまる放射能。それは最初で最悪の被爆実験であり、広島に置かれた「ABCC」はすべてアメリカにその資料は運ばれました。そして、米ソの核実験による放射能、その犠牲者を出したビキニ環礁の水爆実験(この被爆は、日本人だけではありません。ビキニ環礁の島々のミクロネシアの人々も被爆しました。)による第五福竜丸の被爆久保山愛吉さんの被爆死。このころ小学生だった私は、死の灰の雨からの恐怖−髪が抜ける−と言う事が言われてきました。さらにアメリカ東部ペンシルベニア州スリーマイル島の原発事故(1979年3月28日)このときは、「現代の生き地獄=メルトダウンノ恐怖」と指摘した「文化評論」。ソ連チェルノブイリ原発で爆発事故(1988年4月)。このときすでに同心円で被爆はしない風向きで大きく異なる事は、解っていました。さらに、東海村のJCOの被爆による2名の死亡など多くの被爆体験をしてきた67年です。そしてついに今年の東日本大震災に伴う「東京電力福島第一原発」の事故からの恐怖。

市田書記局長と対話する参加者。

市田書記局長と握手を求める参加者


 報道によると、静岡市で開かれていた日本地震学会は、15日大会最終日に特別シンポジウム「地震学の今を問う−東北太平洋沖地震の発生をうけて」を開いた。