震災報告70−あれから1年の月−3月1日(木)晴れ。水汲み。

 ▽午前7時32分M5.3震源茨城県沖、震度5弱の地震発生。▽午後11時50分頃地震M3.4福島県沖、震度3

 井戸水が増えました。万歳! 昨日の15aの雪は、井戸水の水位を少し上げたようです。試しにポンプを動かしましたが、トイレの水をお風呂に入れていますが、お風呂の半分ぐらいでポンプの作動が芳しくありません。

朝は、まだ雪が沢山残っていました。

積雪のため車は、登れませんでした。

午後になると、春の日ざしで雪はほとんど消え、水汲みと放射線量の測定をおこないました。

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 今日、3月1日は、ビキニデーです。第五福竜丸がビキニ環礁でマグロの操業中、アメリカの水爆実験により被爆し、久保山愛吉さんが犠牲になり、乗組員の多数が被爆しました。持ち帰ったマグロは、静岡県焼津港に陸揚げされることなく、消却処分にされました。ミクロネシアな人たちも度重なるアメリカ、フランス・イギリスの水爆実験で多くの人が被爆しました。

 日本人が、広島、長崎に続いて、ビキニの水爆実験。原爆・水爆により3度も被爆し放射能の恐ろしさは、他国の人よりはるかに、知っているはずでした。それだけでなく、ソ連の核実験により放射能雨の心配をした子どもの頃の出来事もあります。

 「安全神話」をまき散らした電力会社・それに関わる企業体、関連の自治体、その政策を推し進めてきた歴代の日本政府。3.11がその「安全神話」・「対応の遅れ」・「秘密主義」を露呈し、福島県民の生活を根底からひっくり返しました。

震災報告70−3月2日(金)曇りのち雨。ゴミ出し。

震災報告70−3月3日(土)晴れ時々曇り。昨夜の雨は、明け方少しの雪で上がったよう。井戸水点検。水汲み。HP編集。増渕さんケーデアーの入浴に行く。鍵預かる。

震災報告70−3月4日(日)晴れのち曇り。

 朝、藤原町自治会の清掃作業に参加。総勢80名以上の参加ありました。5班に別れ地域別に掃除に取りかかりました。この清掃作業で瀧内さんご夫妻と帰り際、放射線の事の話しになり、さらに3.113.23地震4.11,4.12の話になり3.23の、新しい生々しい事を聞くことが出来ました。

 話によれば、「地方に行っていた家族の帰宅を待っているため、外に出て一服しているとき、大きな揺れと、地面がすれ違うように左右に大きく揺れた」とのこと「3.11地震より大きかった」と言っていました。

 午後、近くの放射線測定と掃除で知り合った瀧内さん宅に向かい測定をすしました。ラジオで特別放送のことを思いだし、買い物してから急いで帰宅し、録音しました。夜NスペシャルとETVの録画。

震災報告70−3月5日(月)待望の雨。

 先日の雪と今日の雨で井戸水も半分近く増えました。HP編集。

 午後、久之浜の高木さん宅に行ったが留守。浜風商店街の久之浜資料館に寄り、300枚以上撮った主婦の石川弘子さんの貴重な写真、その後地元の人々が撮り、追加された写真を見る。多くの人が3.11又は、その直後の写真を撮り治めていました。

 この商店街の食堂に立ち寄り、お店のご夫妻、居合わせたお客さんから3.11当時の事を聞きました。石川弘子さんが写した久之浜中心部の写真にビルの屋上に黄緑のヤッケと着た人は、助かっているそうです。

 今日3月5日、戦前の無産政党の労農党の代議士・山本宣治(山宣)は、普通選挙法と抱き合わせで制定された、「治安維持法」に反対し毅然と戦った。83年前の滞在していた東京・神田の旅館に訪ねてきた暴漢により刺殺されました。「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持してゐるから」

藤原小学校近くの斑堂の瀧内さんの自宅の放射線測定と3.11及び3.23の地震で被害

丸山公園西側の砂防ダムと地図です。地図をクイックするとこの地域の地図を表示します。

黄色のテープは、お掛けの登山道の目印です。

パノラマラインから登山道を下り、砂防ダムへ

クイックすると、放射線測定値のこの周辺の地図を表示します。

砂防ダムです

服断層の影響でご自宅の敷地内を走っていました。3a近く浮きでました。下の空き地は地震以前泥濘になるような湿地でしたが、乾燥してきています。この付近も断層の影響で、水位に変化が出ています。

この水路の水が少なくなったとご主人は言っていました。矢印の方向に3.23地震で左右擦れ合うように、地面が動いたそうです。「地面がこんなに動くものなのか立っていれなかった。」と話してくれました。「水路のU字坑がガタガタと当たった音がなり響いていた。電柱は大きく揺れ倒れるかと思った。」と話してくれました。

◎h28-2A

震災報告70−3月6日(火)雨のち曇り。

気温も上がり8度台になる。午後から霧が濃くなる。水汲み。中国地方は、春一番が吹いたとのこと。東京も23度を超したと報道。

庭の梅が咲き始めました。2月末ごろからウグイスの「チチ、チチ」のさえずりが聞こえ始めていました。

震災報告70−3月7日(水)晴れ時々曇り。午前中強風。

 午後久之浜に行く。高木さん宅により原稿頂く。昨日NHKのニュースの中で大分県に避難している吉田さんの話になり、この久之浜に住んでいて大分に避難しているとのこと。吉田さんのご主人と高木さんの奥さんが、同級生であったことなどを話を聞きました。その後、復興仮設店舗「はまかぜ商店街」に寄る。 

ここ久之浜・大久地区では、3.11震災で死者50名、行方不明者13名、全壊家屋710戸、大規模半壊240戸、半壊、258戸、一部損壊228戸、罹災証明発行数1436となっています。

復興商店街の中程にある資料館の菜花(なばな)未穂さんと3.11の久之浜の写真の撮影した石川弘子さん

食堂で団欒する石川さんと

約300枚以上の3.11の写真を撮った、石川弘子さんに会えて、当時の様子と、写真のUSBメモリーを貸して頂くことになりました。

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