震災報告63−あれから10ヶ月−12月26日(月) 晴れ時々曇り。日中も寒い。風強し。洗濯物凍る。

 公民館から測定器借りる。政府の原発の中間報告。今日、インドネシア震災からまる4年。北海道、日本海側、山間部大雪。名古屋周辺も。

 政府の事故調査委員会は、東京電力福島第一原発による事故の調査し、中間報告書を政府に提出しました。極めてずさんな政府の対応が明らかにされています。しかし、政府関係者の調査は、これからとのこと。

朝、起きて庭を見たら、イノシシに荒らされていました。放射線の高いところの半分が掘り返されました。

震災報告63−あれから10ヶ月−12月27日(火)晴れのち曇り。今日も外の水道凍結。

 東海、南海連動地震の予測発表。沖縄大いに怒る。福島県議会野田総理の収束宣言に対し、全会一致で「意見書」採択。

震災報告63−あれから10ヶ月−12月28日(水)晴れ時々曇り。寒い朝。

 藤原町の自治会から放射線測定器を借りました。矢祭町の温泉に行きました。この春まで、あかぎれと、霜焼けで悩んでいましたが、この温泉を利用してからは、皹が起こっていません。矢祭の放射線量は、0.1〜0.098μSv/hでした。NHKの追跡!真相ファイルで国際放射線防護委員会(ICRP)の「低線量被爆」ついて内部資料に基づき報告していました。

震災報告63−あれから10ヶ月−12月29日(木)晴れ。

 プリンターのインク買いに行くが、インク売り切れ。明日もう一度買い求める予定。四ツ倉まで行き放射線測定する。途中、津波災害の時写真を撮った海岸部の測定行いました。測定値は、放射線量測定報告4 をご覧ください。

29日放射線測定しながら、被災地の写真を撮りました。この豊間、薄磯海岸には、4月1日から2日にかけて被災状況を写真に収めました。当時から測定器があればと思うと悔しい限りです。

この実体、民主党政権は、どう思っているのだろうか。この原発政策を推し進めてきた自民党・公明党はどのように考えているのだろうか。

この地点で測定しました

大きな門構えの家の玄関の戸のガラス、縁側の窓ガラスに津波の跡がクッキリと残っています

ちらほらと、住宅の補修、新築も始まっていました。9ヶ月前、いまだ見つからない家族を捜し、思い出のアルバムを手にしていた被災者たちと行き会いました。「合成写真」

二十三夜と言う碑の前で放射線測定しました

二十三夜の碑の前の測定を終え、あたりを見回すと、ブルーシートの山が見えました。近ずくと瓦礫の山。その隣に大袋にも瓦礫の山が築かれていました

3.11津波で流され、瓦礫で足の踏み場の無かった所は、一応綺麗に片づきましたが、放射線のある瓦礫は、一時仮置き場に3bから4bの山になり処分出来ないようになっています。

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美空ひばりさんの記念碑−地震で台座が曲がっていましたが、治っていました。また近づくとひばりさんの乱れ髪の歌声が聞こえていました。数ヶ月前まで壊れていて、歌声が聞きませんでした。ただ驚いたことに、放射線量が、1bで0.61533μSv/h、地表で0.6215μSv/hの高い数値でした。

津波の被害を豊間の隣、薄磯海岸の道路は復旧して通行できましたが、杉の木が4本ありましたそこでそこで測定したところ、最高値が1.753マイクロシーベルト/毎時を計測しました。

薄磯海岸の瓦礫は、撤去されていましたが、住めそうな家は、数軒。西日が空しさを増してきました。

「合成写真」

「合成写真」

「合成写真」

新舞子浜の「かんぽ」の家近くの公衆トイレの駐車場(トイレは震災のため使えません)

四つ倉海岸の凧上の大会の会場です。草むらの高いのに驚きました。1.66023マイクロシーベルト/毎時を計測しました。2011年9月25日に行われた凧上げ大会は、子供達も凧上げに興じていました。

震災報告63−あれから10ヶ月−12月30日(金)晴れ。
 昨日放射線量の高かった薄磯地区にもう一度行きました。さらに、高汚染の実体を報告します。

印の杉の木の周辺が異常に高い数値を示しました。放射線量の測定値はここをクイックしてご覧ください

ここの放射線量の数値は、最高8.931マイクロシーベルト/毎時を計測しました。何故ここだけこんなに高いのか

いわき市立豊間中学校は、津波で甚大な被害を受け、「廃校になる」とこの中学校卒業生の地元の青年に聞きました。

震災報告63−あれから10ヶ月−12月31日 晴れ。幾分寒さ和らぐ。

 ▽朝8時11分頃、地震有り。震源は、茨城県北部、M4.5、震度3、いわき、外。 震源の深さ10`。3.11以降今までほとんど地震がなかったいわき市周辺は、地震の巣になってしまいました。特に4.11地震前後から毎日、何回も発生しています。今になって地震の影響で井戸水も、涸れそうになっています。

 溜まった、落ち葉の掃き掃除を震災以降、初めて行いました。年末ですから。

 東京にいたときの知人、元区会議員、このいわきに来て知り合った私の知人に、この震災で多くの家族・親戚・学校時代の友達を亡くしています。また、この震災報告・放射線量の測定で出合っ人々の中には、家族を失い、今も行方不明の方も多くいました。

 写真は、あの大震災以来約5500枚以上、写真に納めました。また、7月25日から測定を始めた放射線線量地点も、359地点以上になりました。

 一昨日、昨日と計測した薄磯海岸の線量の高い数値を示した原因を考えていますが、全く原因が分かりません。

 湯ノ岳の草木庵近くの民家から8マイクロシーベルト/毎時を計測しました。雨樋の地面が極端に高いのです。国や県は、民家の2ヶ所を測定し、線量が高いか低いかを提示し、判断材料にしているようですが、現実とは大変かけ離れています。全ての面で、しかも地表面での測定をすべきです。住民が安心して生活していける為に、何を為すべきかを考えるべきです。

 野田総理の「原発収束宣言」あり得ない。会う人みんな、「収束」なんてあり得ない、馬鹿にするな、と異口同音に言う。

薄磯の夕日

この右の道は、県道四つ倉−小名浜線=15号線に出ます。

 今日出会った豊間中学校卒業の地元の青年に聞きました。3.11の時、県道15号線の所で、トラックが地震で横転、道を完全にふさぎ、自宅の安否を気遣う人々の車は、この道に入ってきました。そして、細いこの道は、渋滞が発生。そこに津波が襲来しました。同級生1名亡くしたそうです。

これが塩屋崎灯台

津波で破壊された、体育館。海岸通りにこの中学校は、建っていました。

考古資料館による横穴洞穴の発掘作業が行われています。

この交差点の測定値は、1b0.1195マイクロシーベルト/毎時、地表0.1382マイクロシーベルト/毎時

5枚の写真は、4月1日〜2日豊間・薄磯海岸の被災状況です。

4月2日頃は、道路の一部の瓦礫は撤去されていましたが、思い出の品や今だ見つからない家族を求めて各自各様に黙々と働いていました。

線量の高い杉の木が4月2日の写真の中にありました

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