コラム「凡言録」より9月1日

『青鞜』百年
100年前の1911年(明治44年)9月1日、日本で初めて女性のみによる文芸誌『青鞜』が創刊ざれた。主宰した平塚らいてうの創刊の辞「原始、女性は太陽であった」と、到-弓の巻頭を飾った与謝野晶子の詩「山の動ぐ日来り三は「女性解放宣言」とみなされた▼

この年1月大逆事件で幸徳秋水、菅野スガら
12人が死刑執行されるなど「冬の時代」に、『青鞜』はそんな時代状況とおよそ無縁な形で華々しく発足した米田佐代子『「青鞜」を学ぶ人のために』)▼

らいてうは『自伝』で、自分は社会や政治の問題を自分の問題として考えることなく「幸徳事件についても---特に関心は持ちませんでした」とのべている。「君死にたまふことなれ」と歌った与謝野晶子の思いとは違ったと思われる▼

『青鞜』を「女流文芸誌」とすれば作品の評価は高くなく、「女性解放」の視点でみれば、その主張の不徹底さが目につくと評価される。『青鞜』が問いかけたものが100年を経て、どこまで前進したか。再評価が進んでいる。(9月1日)


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