コラム−20124月4日
4000万歩
江戸時代上総国(千葉県)佐原の名家の主だった伊能忠敬は50歳で隠居すると本格的に星学暦学の勉強を始めた。江戸に出て高橋至時(よしとき)の門に入り、天文学を学んだ。新式の観測機器も購入し、天体観測を行った▼
56歳から72歳までの17年間日本の海岸線を歩き、実測によって日本地図を完成させた。「二歩で一間」の歩幅で歩いた距離は約3万5千`(8千9百里)。歩数にして約4千万歩。4千万歩というのは、伊能忠敬を主人公にした小説『四千万歩の男』を書いた井上ひさしの計算だ▼
井上ひさしは忠敬の生き方を、「一身にして二生を経(ふ)る」といっている。隠居するまでが一つの山、その後のセカンドライフが二つ目の山だ。とくに隠居してから大きな仕事をやったと。定年になって一線を退くと、何をしようかとみんな考える。たいがいは趣味に生きる▼
本稿はこれが4000本目』定年後のセカンドライフと意識したわけではないが、そんな形になっている。悪戦苦闘して、閑を持て余すことはない。(4月4日)