コラム−20125月4日
五・四運動
若い人は余り知らないが、日本は第1次世界大戦に参戦し勝利国となった。1914年(大正3年)8月、日本はドイツに宣戦布告した。日英同盟の友誼から参戦したといわれるが、元老・井上馨は「天佑」と言っている▼
すぐにドイツの租借地青島を占領し、中国へ進出する足掛かりを得た。勢力伸長の好機と、翌年1月には中国にたいして二十一ヵ条からなる諸権限拡大の要求を突きつけた▼
中国政府は要求は主権を害すると反対したが、日本は「最後通牒」を発し、中国はこれを受け入れざるをえなくなった。大戦のパリ講和会議で、中国は二十一ヵ条の廃止や各国の利権の取り消しを求めたが、強烈に無視された。中国国民の怒りは高まっていった▼
19年(大正8年)5月4日、北京天安門前に3千余人の学生が集まった。「二十一ヵ条を取り消せ」「青島をし返せ」などのスローガンを掲げ、「強盗日本」に抗議するデモ行進を行った。抗議運動は2ヵ月に及んだ。五・四運動は中国の新民主主義革命の出発点と評される。(5月4日)